子育てダンサーkazmagnumの、フランス語つまみ食い生活(海外時事ニュース)

なんとなく独学で始めたフランス語をダラダラ続けながら、 2人の息子(1歳児と2歳ポメラニアン)の育児に踊り狂っております

カテゴリ: 映画

こんにちは、カズマグナムです。


いつもはフランス語の記事やフレーズをだらだらと紹介しているのですが、今日は今更ながらアニメの「エヴァンゲリオン」について頭に溜まっている思考を吐き出しておきたい気分になったので、超自己満足的な内容を書いてみたいと思います。ちなみに内容の解説・考察的な記事は巷に溢れているので、そういったものはあまり書くつもりはありません。

一体唐突に何なんだ??って感じですが、25年も前にテレビで放映されて以来断続的に作品がリビルドされて愛され続けていた類まれなメガコンテンツであるエヴァが、最新作「シン・エヴァンゲリオン」としてついに終局を迎え、なんだか感極まって思いがあふれてきてしまったので、それを浄化したいがための記事ってことで、興味のない人はスルーしてくださいまし!



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これまでのアニメ版や旧劇場版では「終劇」と言いながら全然終わった感がなく、むしろ様々な解釈や疑問を喚起するような、一切を観客に委ねる「放置プレイ」的な内容だったので、もしや今回も??というファンの声も多かったようですが、いやはや、もうどうしようもないくらいに「終劇」を迎えましたねー。勿論色々な捉え方や「その後」を巡る論争はあると思いますが、とにかく終わった。嬉しいような、悲しいような。いや、「悲しい」の方が圧倒的に気持ちとしては大きいけど、いつまでもズルズルってわけにもいかないよなー、と自分に言い聞かせています。






なんかものすごく愛にあふれてますって感じで書いてますけど、ちなみに僕自身はテレビ放送時からの往年のファンとかでは全然なくて、ここ一年の間で作品をひたすら観るようになったっていう、まあいわば「超にわか」なのですが、普段それほど特定の作品にはまることがない僕からすれば、エヴァに関しては何度も何度も同じ作品を観返している今の自分がいて、それに驚きを感じています。


特にアニメに関しては僕は普段ほとんど観なくて、これまでにのめりこんだ数少ない作品といえば「ジョジョ」「攻殻機動隊」くらいなものかなー?小学生くらいのときには通り一遍のアニメはもちろん観ていたけど、ずっと好きだっていう作品はそれくらいなもんです。この2つも一筋縄ではいかなくて、だからこそ僕にとっては「何度も読みたくなる・観たくなる」作品ですねー。そこに新たに「エヴァ」が加わったって感じです。アニメにそれほど没頭していない僕ですら夢中になるくらいなんだから、やっぱりエヴァってすごいコンテンツってことですね。






で、エヴァって一体何が面白いんだろう?って改めて考えてみると、映画に限らず本でもそうなのですが、多分僕はどちらかというと「わかりやすい」とか「すっきりする」ような作品にはあまり惹かれなくて、観た後に「??」がいっぱい残るようなものに魅力を感じるところがあると思います。「分かりやすい」作品は一度観たらそれで満足してしまってもう一回観ようっていう気にならないし、観客にわかりやすいように作ろうっていう「作者の媚び」みたいなものがある気がしてどうしても冷めてしまうんです。

一方でエヴァは「難解」ってよく言われるけど、それは作中で出てくる言葉や状況について明確な説明が一切なくて、観客に理解できるようにしようっていう姿勢が全くない(勿論良い意味で)ところがその理由だと思います。「媚び」の対極にある姿勢。「もっとわかりやすくしろ」っていう声もあるっぽいですが、でも僕はそれこそが作品の魅力なんだと思っています。観客に一切を委ねるってことは、ある意味観客を信頼しているというか、対等な存在として考えているからなんじゃないかなー。「お前らには説明しないとわからないだろ」みたいな傲慢さがないというか。。それに、分かりやすい作品だったら皆これほど夢中にはならなかったと思うなー。色んな解釈や考察が渦巻いて盛り上がるっていうのも、難解だからこそですよねー。フランスの詩人ポール・ヴァレリーが言うところの「詩的なもの」って、こういう作品のことを言うんだろうなーきっと。



詩的なもの。観客を立ち止まらせる、宙づりにする、観客に不意打ちを与えるような作品。観客の意識を覚醒させる、思考を喚起させるような作品。



(ただ、今回のシン・エヴァについてはいささかキャラクターによる説明的なセリフが多くて、詩的魅力という観点から言うと少し残念に感じてしまう所がチラホラあった気がします。。うーん、、)





あと、僕自身今まで全然観なかったのに今になって面白いって感じるようになったのは、多分それ相応に年を取ったっていうのも1つあるんじゃないかなーと思ってます。仮にタイムリーに観ていたとすると、テレビ放映時は10歳くらいってことになるのですが、そんな年齢でエヴァを観たって多分全然理解できないし、「わけわかんねー」で終わってしまって、そのせいで「もう二度と観るか」ってなってたかも。そのくらいの年齢ではわかりやすい勧善懲悪的な話とか学園ドラマとかが丁度よくって、こんな複雑で深い作品を中高生で理解するってのは中々苦しいものがあると思います。仮に頑張って話の流れや内容を理解できたとしても、そこに描かれている深いテーマには中々手が届かないんじゃないかなー。



勿論エヴァって色んな楽しみ方があっていいと思うんですが、僕は「人間ドラマ」としてすごくグッとくるものがあるなと感じてます。14歳のエヴァパイロット達、ネルフやヴンダーの人たちを中心に話は展開して、それぞれの境遇で不安や孤独、責任などに向き合って苦しみもがき、それぞれの形で乗り越えていく。少しづつ前に進んでいく。乗り越えられないままに終わってしまう人もいる。
「使徒との闘い」とか「人類補完計画」とか、シチュエーションとしては非現実的ではあっても、そこに登場する人間はすべてが極めて現実的で、誰もが自分自身の投影のようにも感じられて(特に僕はシンジの内面・ゲンドウの内面)、ことあるごとに共感できるところがある。これは、自分自身が思春期を越えて成長し、大人になって家族も持つようになった今だからこそ感じられるような感覚なのかな。「人類補完計画」っていう発想とか「ATフィールド(作中では心の壁って言われてます)」っていう概念も、決して非現実的なものではなくて、普段の自分たちの生活の中に普通にあるものなんだと思うし、それにただ気づいていないだけなんじゃないかしら?人間はみんな「不安」を抱えて生きている。その不安との闘いが壮大な宇宙的スケールに拡張されて展開したのがエヴァンゲリオンなんじゃないか。色々難解な用語や伏線があったりするけど、結局は「人のこころ」を描いている。僕はそんな風に解釈しています。




で、今回のシン・エヴァンゲリオンで何よりも特徴的だったのが、碇ゲンドウを軸とした補完計画の発動という場面。旧作ではシンジやアスカの精神世界について嫌になるくらい強く描写されていたのですが、ゲンドウについてはほとんど触れられていません。旧劇場版でレイとの融合を拒否された後、補完計画が発動してからのシーンでほんの少し「シンジへの恐怖」について語られてはいましたが、そこは割とさらっと流れて行って深堀りされてはいませんでした(「すまなかったなシンジ」という一言はとても印象的ではあったし、それで十分ゲンドウの内面を表してはいるとは思いましたが、、。)。

それが今回、シンジは補完計画が開始する前にすでにレイとの対話やレイ・ミサトの喪失という経験の中で現実世界を受け入れる覚悟ができていて、内面を語る役割を担っていたのがゲンドウになっていたのです。それはいささか意外ではあったけど、よく考えたら旧作の終劇から現在までで20年以上もたっていることを考えると、監督もその分年齢を重ねていっていて、「大人になりながら現実を生きる覚悟を持てない」ゲンドウをしっかり描く動機が自分の中で醸成されていったのかもしれませんね。あと、旧作放映時の観客も同時に同じだけの時間の流れを経てきているので、そういう意味でも旧劇と同じような展開はあり得なかったように思います。

旧作アニメ版は「全てのチルドレンにおめでとう」という作中の言葉が示しているように、大人に向かっていく子どもたちを物語の中心に据えていたけれど、大人にたどり着いてしまった人たちは?親になってしまった人たちは?人間の抱える心の不安・恐怖・孤独は、何も子どもだけが抱えているわけではない。「人類補完計画」と言いながら、「人類全体の心」について語りつくされていなかったのではないか?監督はそういった消化不良になった部分を回収したかったのかもしれません。もちろん僕の勝手な想像ですけど。



ではなぜ今回のシン・エヴァでは、シンジが旧劇ではできなかった現実世界での心の補完を行うことができたのか?ゲンドウとの違いは何だったのか?それは村の生活の中で人間の感情を学んだレイが、「(みんながシンジに優しくするのは)碇君のことが好きだから」というストレートな言葉を伝えたからではないのかな?と思います。旧作でシンジは「みんな僕を裏切るんだ」とか「みんな僕のことが嫌いなんだ」とか「みんな気持ちを曖昧なままにしておくんだ」と自問自答して、「他人への恐怖」から精神崩壊していってしまうのですが、率直に「みんなシンジが好きなんだよ」っていう言葉を伝えられることで、一気に心が浄化されたんじゃないかな。

新劇場版Qの終わった時点では旧作と同じような状態にまで心が荒んでしまっていたシンジが、まるで赤ん坊のような純粋さで自分と向き合ったレイのおかげで救われた。レイに対して「本当の綾波じゃない」と言って拒絶していた自分に対して、それでもその存在を無条件で受け入れて「好きだ」と言ったレイの言葉は、シンジに欠けていた「母性愛」のようなものとして彼を包み込んでくれたに違いない。アスカがケンスケから「父性愛」とでも言える優しさや包容を受けて大人になったように、シンジはレイから「母性愛」を受け取った。それで「自分を好きだと感じる」、「自分を認める」こともできて、初めて他人を好きになれた。

ゲンドウはユイ以外の人間を拒絶してしまって、愛を受け取ることができなくなってしまった。誰かを愛するためには自分が自分を愛せなくてはならない。自分への愛がないから他人も愛せない。自分を認めることができない。ゲンドウとシンジの大きな差が「愛」だったのかもしれません。うーん、てことはやっぱり人間には「愛」が必要だよってか??


(でも実はゲンドウは、既に過去にPSPゲーム版で補完されていたという事実を知って衝撃を受けました。。メタすぎる)









ところで、こんな風に観客を捉えて離さない映画っていうのは素晴らしいんだと思うけど、一方で「中毒」のように抜け出せなくなってしまう面もあって、怖いなって思うこともあります。そういえばアニメの「攻殻機動隊 SAC」「タチコマの家出 映画監督の夢」っていう話で、一度その映画を観たら誰もが感動しすぎて現実に帰れなくなるような映画を生み出した映画監督っていうのが出てきてて、草薙少佐がそれを批判していた場面があったんですが、なんかエヴァンゲリオンっていうコンテンツはそれに似てるなーと思いました。

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 第十二話『タチコマの家出 映画監督の夢 ESCAPE FROM』 海外の反応 - そとはん





攻殻機動隊SAC タチコマの家出 映画監督の夢の1シーン


攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 第十二話『タチコマの家出 映画監督の夢 ESCAPE FROM』 海外の反応 - そとはん

監督ここの観客の中には現実に戻った途端に不幸が待ち受けている奴もいる。そういう連中の夢を取り上げて、あんたは責任を負えるのかね

少佐負えないわ。でも夢は現実の中で戦ってこそ意味がある、他人の夢に自分を投影しているだけでは死んだも同然だ」

監督リアリストだな

少佐現実逃避をロマンチストと呼ぶならね

監督強い娘よの、いつかあんたの信じる現実が作れたら呼んでくれ。その時ワシらはこの映画館を出ていこう





エヴァは観客をいい意味でも悪い意味でも捉えて離さない。それはいろんなところでも言われているけど、今回の作品は、庵野監督自身のそういった「中毒性」というか「無責任さ」への反省っていうのもあったのかも?だからこそ、きちんと「終劇」を迎えさせたかったのかもしれません。

そう考えると、「シン・エヴァンゲリオン」での終局は庵野監督の優しさなのかもしれない。悲しいかもしれないけど現実には戻らなきゃいけないっていう、厳しさと背中合わせになっている優しさみたいな。それが何だか僕には作中のシンジに対するアスカの態度とすごく重なってきます。



ちなみにアスカってどの作品でもひたすら救われない感じで描かれていて監督はアスカが嫌いなんじゃないかって言われたりもするけど、僕はむしろ真逆なんじゃないかって考えてます。むしろ好きすぎて、誰のものにもなってほしくないから、だから殺しちゃう(実際には生きてるけど、、、でもそれに限りなく近い描写)。もちろん監督自身の内面なんて本人にしかわかりませんが、僕はそうあってほしいなあと思うわけです。

旧劇場版の最後の場面でシンジがアスカの首を絞めるシーンがありますけど、監督曰く元ネタは実在のカップル(か夫婦か?忘れましたが、、、)らしいです。別れを切り出された男が逆上して女の首を絞めた話ということなんですが、この「首を絞める」っていうのも、愛憎の入り混じった、永遠に失いたくないというシンジの恐怖からでた行為のように僕は思うのですが、監督のアスカの描き方ってそれと同じようなものだったりして?好きのエネルギーが極まで行って反転したような感じ?

規制だらけ!『旧劇場版エヴァンゲリオン』のトラウマシーンまとめ - Hachibachi


アスカはアスカでシンジに厳しく当たっているけど、それは彼女の強すぎる好意と優しさの反転したものだと僕は思うし、それが今回のシン・エヴァではものすごく色濃く表れていて、最後の旧劇場版と同じ海岸のシーンは、アスカの一途さというか、大人になった透明感みたいなものを感じて、美しくて僕はもう感動してしまいましたよほんとに。あのシーンを観るためだけにもう一回映画観たいって思うくらい!特典の書下ろしイラストもアスカだし、これはどう考えても監督はアスカ大好きだろって、僕は思いますねー。もちろん僕も大好きですけどね!


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って、ちょっと話の筋がずれてしまいましたが、「シン・エヴァンゲリオン」で庵野監督は大いなる反省をもって、厳しさと優しさでもって観客を現実に引き戻してくれたんだと思います。そういえばこれって今思えば、旧劇場版でシンジの意識の中でレイと対話するシーンが描写していたことだったんじゃないか??



旧劇場版「Air/まごころを、君に」の1シーン

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レイ「都合のいい作り事で、現実の復讐をしていたのね」
シンジ「いけないのか?」
レイ「虚構に逃げて、真実をごまかしていたのね」
シンジ「僕一人の夢を見ちゃいけないのか?」
レイ「それは夢じゃない。ただの現実の埋め合わせよ」
シンジ「じゃあ、僕の夢はどこ?」
レイ「それは、現実の続き」
シンジ「僕の、現実はどこ?」
レイ「それは、夢の終わりよ」





映画はあくまで「現実の埋め合わせ」・「虚構」にしか過ぎない。現実から目を背けちゃいけない、いつかは現実に帰らなくちゃいけない。旧劇場版で既に言葉として語られていたことを、作品そのもので表現したのが今回の作品だった?僕たち観客は夢の終わりを受け入れて、現実を生きなければならない。それはとても苦しいこと。

でも、シン・エヴァの作中ではシンジとアスカがお互いに好きだったことを告白し、それを青春時代の思い出として胸にしまい、それぞれ前に進んでいくことができた。これは、夢や虚構を「忘れろ」とか「捨てろ」って言ってるんじゃなくて、「思い出として大切に胸にしまっていていいんだよ」っていう監督からのメッセージのようにも感じました。それにしても、こんなに観客と監督がつながっている作品って中々ないんじゃないでしょうか??







エヴァが終わった今、新しい「現実の埋め合わせ」を求めてハイカイするのか、現実を受け入れて生きていくのか、オリジナルの模倣によるStand Alone Complexのようなものが生まれるのか。今生きているのは夢から戻るに値する現実なのだろうか。






1つの長大な詩のピリオドを、僕は自分の涙で打とうと思う。







てことで、今日はこれでお終い!




À bientôt !!






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(今回の記事はまったくもってフランス語と関係ないですが、悪しからず、、、、)








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こんにちは、カズマグナムです。

先日は息子カズマグナム2号のお遊戯会でした。カズマグナム 2号はもうすぐで1歳7ヶ月になろうかというところですが、5月生まれなのでまだ0歳児クラスでの発表。といっても、うちの子どもはそもそもまだ話せないし、お遊戯会って一体何するんだ??でもまあとにかく家とは違う子どもの姿を見れるのだからということで、ワクワクして当日を迎えました。


で、いざ始まったお遊戯会。0歳児クラスの発表は音楽に合わせた手遊びや名前呼び、太鼓の演奏でした。まずのっけからみんなが一列になってきちんと椅子に座っているというところにびっくりで、誰も立ち上がって歩いたりとかせず、しかも音楽に合わせて踊ったり歌ったりしている子までいて、さらにびっくり。
もう既に成長の差がかなりあって、ちょっと焦ってしまいました。ちなみにカズマグナム2号は他の子の名前が呼ばれたときに返事してしまうという始末で、歌ったり踊ったりなんて到底まだ出来ません。。。

勿論成長には個人差があるのはわかっていますが、その差をまざまざと見せつけられるとちょっと落ち込んでしまいます。うーん、、。まあでもカズマグナム2号は彼なりのペースで、のんびり成長していけばいいのかなーとも。複雑な気持ちです。

↓(そんな親の気持ちは知ってか知らずか、お遊戯会後のサイゼリアで超リラックスしている息子。)

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とはいえ、来年のお遊戯会がもう既に楽しみ!どれだけ成長した姿が見られるのだろーか??





さてさて気を取り直して、今日もフランス語紙のご紹介でーす。





↓(リベラシオンの記事)

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↓(記事のURL)







営業不振による閉館が決まったパリ5区にある映画館「LA CLEF」に、館の存続を訴える人々が連夜集まって占拠し、他では見られないような希少な作品や実験映画、短編やドキュメンタリー、アート作品などを持ち寄って無料で上映する<LA Clef revival>という運動を行っています。

この運動にはパリ市や5区、CNC(Centre National du Cinéma:国立映画センター)、配給会社、数々の映画監督、俳優、知識人なども賛同を示しており、館に作品の提供をしたり議論の場を設けるなと活性化の一助となっています。


LA CLEFを閉館するという判決が出て以来、反対派が裁判所前に座り込むなどの抵抗を行なったり、パリ市の支援などもあって、ひとまずは性急な閉館を免れたようですが、今後の存続や運営主体に関してはまだ決まっていません。
単なる投機目的ではなく既存の映画館とは異なった、LA CLEFの独自性やアイデンティティを保った上での再建のために、公営も含めた運営方法を現在模索しているようです。




<今日のフレーズ>

今日は、館の占拠運動に賛同するパリ市の職員のコメントをご紹介します。

«Ce qu’ils programment, c’est ce qui manque à Paris ! Le but n’est pas de refaire un cinéma d’art et d’essai comme le Champo ou le Grand Action, ils existent déjà»

「(不法占拠している)彼らが企画していることは、パリに今欠けていることだ。(LA CLEF再建の)目的は、le Champoやle Grand Actionのような芸術的、野心的映画を上映することではない、それは既にあるものなのだから。」






日本の映画館もシネコンにどんどん集約されていって、映画館の数は減少の傾向にありそうです。まだまだ根強い映画ファンが沢山いてミニシアターも何とか踏ん張ってはいるのだと思いますが、今後の小規模映画館の先行きは正直あまり明るくないのではないでしょうか。
そうなると、シネコンで上映できるような一般受けする映画しか僕たちにはアクセスできなくなって、その結果として小規模でも良質な映画が観られる機会がなくなり、映画自体がどんどん衰退していく。そんな恐ろしいイメージばかりが何だか頭をよぎってしまいます。


映画館の減少の原因は、おそらくDVDやネット配信などの普及が一番大きいと思いますが、映画館の料金が高すぎるのも1つの理由だと思います。
何せ日本の映画館は値段が高い!会員じゃなかったら大体一本1800円とか安くて1500円くらいじゃないでしょうか?フランスとかならもう少し安いと思うんですが(その分映画館が綺麗とか色々あるのかもしれないですが、、、)、これだとさすがに躊躇ってしまいます。一昔前なら一回お金払えば一日中見放題だったのに、、、

劇場でしか観れないような希少性のあるものとか、本当に思い入れのある作品であれば映画館で観よう!となりますが、そうでなければ数百円で観れてしまうDVDやネット配信に勝てるわけがありません。そりゃ潰れるわー。



やはり今後映画館としては、DVDなどでは観れない良質な作品をプッシュしていくか、興味を喚起するような特集やイベントなど、プラスαで頑張っていくしかなさそうです。あとはフランスみたいに「映画センター」的なものを作って、国として映画界をバックアップする体制も必要だと思います。映画に限らず、日本では芸術が明らかに軽んじられている気がするので、、、




僕は大阪の人間なので関西のことしかわからないですが、京都の「出町座」とか、最近リニューアルした「京都みなみ会館」、それに大阪の「シネヌーヴォ」や神戸の「元町映画館」なんかのミニシアターが、それぞれの味を出しながら工夫して頑張ってくれてる感じがします。

こういった所からどんどん「映画館で映画を観る楽しみ」を発信して行ってもらえればなあーと思いつつ、最近は忙しくて映画館に全く行けていない状況にモヤモヤ。



映画観に行きたいなー。




てことで、今日はこれでおしまい!



À bientôt !!


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こんにちは、カズマグナムです。

最近は寝る前に、先日余ったワインをちびちび飲んで寝るのが日課になってます。日課といっても、このワインが無くなればもう飲まなくなると思うのですが、、、

そういえば20代の頃は、「ワインの違いがわかる人になりたい!」とかなんとか言って、しょっちゅうワインボトルを買っては寝る前に飲んだりしてたなあ。結局味なんて対して分からず、ただただ貪ってただけでしたが、、まあただのミーハーですね



さてさて、今日はこないだ観た映画について書こうかなーと思います。





※以下ネタバレ含みますのでご注意をば

「シング・ストリート 未来へのうた」
2015年 アイルランド、アメリカ、イギリス
監督 ジョン・カーニー

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<あらすじ>

不仲な両親のもとで暮らすコナーは、ある日家計の節約という名目で公立の「シング(SYNG)・ストリート高校」へと転校させられます。ですがそこは、ならず者たちが集まる底辺の高校でした。

入学したコナーはいじめっ子のバリー、さらには「靴は黒でなければいけない」という校則をめぐって、校長にまでも目をつけられてしまいます。


ある日コナーは学校からの帰り道で出会ったラフィーナに一目惚れをし、彼女に「バンドのミュージックビデオでモデルをして欲しい」と誘いかけ、連絡先を聞き出します。ですがコナーはバンド活動などしておらず、そのことをきっかけに友人のダーレンとともにバンドメンバーを探すことになります。


集まったのは、どんな楽器でも巧みに操るエイモン、黒人のンギグ、学校の張り紙を見てやってきたギャリーとラリーです。コナーと合わせた5人のバンド名は学校名に因んで「シング(SING)・ストリート 」と名付けられました。


ロックフリークの兄ブレンダンの手ほどきの元、曲の製作とミュージックビデオの撮影を進めるうちに、次第にラフィーナとの距離を縮めるコナーでしたが、ラフィーナには恋人がおり、ラフィーナは彼のつてを頼りに2人でロンドンに旅立ってモデルとして成功するつもりであることを知ります。


バンドメンバーは学校のプロムで演奏する目標を立て次々と製作を進めます。その間ラフィーナは、一度は恋人とロンドンに立ってしまいますが、失意のもとにアイルランドに戻ります。恋人には実はロンドンに何のつてもなかったのです。


一方シング・ストリートのプロムでのライブは大成功を収め、これを機にコナーとラフィーナは自分たちの人生をかけ、成功を求めてロンドンへと旅立つ決意をします。


<感想>

個人的には、ちょっと前に「WAYNE(ウェイン)」という海外ドラマで主役をしてかなり良い味を出していたマーク・マッケンナが気になっていたので、今回この映画を観ました。やはり彼は独特の雰囲気を持っていていいですね〜。

彼を始め、この映画の俳優はそれほど有名な人達では無いと思うのですが、そう思わせないほどそれぞれのキャラクターに個性や味があります。むしろ、主役のコナーが一番ふつうって感じもします。

特に僕は、引きこもりのロックマニアであるコナーの兄ブレンダンの存在感がとても好きでした。その落伍者っぽい風貌やロックへの偏愛っぷりとは裏腹に、両親に溺愛される弟への嫉妬と愛情の複雑に入り混じった繊細な感情も持っている。人間味があって良い役柄だと思いました。



僕はこの映画に出てくるロックを全然知らないのですが、ロックフリークならきっともっと楽しんで観られる映画なんじゃないかと思います。逆に言うと、音楽以外のストーリー的な要素はいたって普通って感じもします。

でも、最後まで飽きずに楽しめる良い映画ではないかと思うので、宜しければ是非!



てことで今日はお終い。


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こんにちは、カズマグナムです。

先週末は奥さんと息子カズマグナム2号がお出掛けしていたので、のんびりと家で映画を観ました。

最近は映画を観れたとしても何かの合間に細切れでしか観れないので、全編通して一気に観れたのも久し振りな気がします。

今回は、何となく肩の力を抜いてのんびり映画を観たい気分だったので、何となく脱力系で面白そうな作品を選んで鑑賞。
結果、面白かった!



では、以下ご紹介しまーす。



※以下ネタバレ含みますのでご注意をば

「100歳の華麗なる冒険」
2013年 スウェーデン
監督 フェリックス・ハーングレン

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<あらすじ>

老人ホームで生活しているアランは、自分の100歳の誕生日パーティーの日に窓から脱走してしまいます。

行く当てもなく辿り着いた駅でバスのチケットを買ったアランは、偶然居合わせた若者(マフィアの一員)に、トイレに行く間彼のキャリーバッグを見張っておくように言われますが、バッグを預かったまま到着したバスに乗り込んでしまいます。

バスの終着駅で出会った老人と一緒にキャリーバッグの中身を確認すると、中にはとんでもない大金が入っていました。

アラン達はマフィアの一味から追われる身となってしまいますが、道中で出会った「将来の道に迷う大学生」と「サーカスの象を保護して世話する女性」とともに、次々に追ってくるマフィアの手を振り切ります。

追われる原因となった当のアランは、どんな危機をも「なるようにしかならない」といった飄々としたマイペースな態度で切り抜けます。

何故アランはこんなに肝が座っているのか?

実は彼は、歴史上の数々の戦争や革命をくぐり抜け、重要人物達と交歓してきた強者だったのです。


<感想>

この映画の1番の魅力はアランのマイペースな性格と、爆破マニアというクセのある人物像ではないかと思います。100年も生きると最早何も恐れることはないといわんばかりに、どんな危機でも平然としマフィア達を翻弄していきます。
それでいて、最初に追ってきたマフィアの若者をハンマーで殴って気絶させるというパワフルさも持ち合わせていて、その魅力には事欠きません。



そしてもう一つは、北欧映画独特の悲壮感というか、ブラックなユーモア感のある映画の空気感です。
追ってきたマフィア達はそれぞれに情けない死に方をするのですが(1人は死を免れますが、記憶喪失になってしまいます)、その死に方といい、死んだ後の末路といい、ついつい笑ってしまいます。

アランの過去の回想シーンに出てくる歴史上の重要人物たち(フランコ将軍やスターリン、オッペンハイマー、アインシュタインなど)もかなり諧謔的に描かれています。



映画全体に漂う「人生何があっても、まあなるようにしかならないよ」という空気感が、不思議な安心感を与えてくれます。
爆笑するわけではないけど、ちょっとクスッと笑いたい。そんな気分の時には是非オススメしたい映画ですね!




てことで、今日はお終い!

À bientôt !!


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こんにちは、カズマグナムです。

最近は家事、育児に追われて映画を観る暇がじぇんじぇんないので、映画話のネタにも苦労しております。
過去に観たものは沢山ありますが、やっぱり気持ちがホットなものが良いので、今観たものがいい。でも映画館になんて勿論行けるはずもなく、最近は専らダウンロードして観ている次第です。

で、今回はそんなこんなでようやく久しぶりに観ることができた映画をご紹介します!



今回ご紹介するのは「フレンチコネクション」。これは1と2の二本立てなのですが、それぞれ一作当たり観るのになんと1週間くらいかかってます。

そんなに重厚な作品なのか⁉︎と思われるかもしれませんが、全くそういう訳ではなく、ただ単にまとめて観る時間が無いというだけなのです。

家事の合間や寝る前のわずかな隙間時間に細切れに観ているので、あまり内容が頭の中で繋がってこなかったり、眠すぎて集中出来なかったりと、まあ大変です。。


まあとりあえず何とか鑑賞終えたので、折角なのでブログに書かないと何か損な気がするので、頑張って書きます!


※以下ネタバレ含みますのでご注意をば

「フレンチコネクション」
1971年 アメリカ
監督 ウィリアム・フリードキン

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「フレンチコネクション2」
1975年 アメリカ
監督 ジョン・フランケンハイマー


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タイトルの「フレンチコネクション」は、トルコからフランス経由でアメリカへと渡るヘロインの密売ルートと、それに関わる組織の事です。


この映画は、フレンチコネクションが関わる麻薬がアメリカで押収された事件を元に描いたもので、実際に麻薬捜査に当たった刑事もこの作品にカメオ出演しているそうです。



<フレンチコネクション1 〜ニューヨーク編〜 >

一作目の「フレンチコネクション」はニューヨークが舞台。ニューヨーク市警のドイル刑事(通称ポパイ)と相棒のルソーは薬物捜査に携わっています。


ある日2人は捜査の過程で、とある若い夫婦が営む飲食店で大物マフィアが関わる大口の麻薬取引が行われることを知ります。

ドイルたちは徹底的に監視網を敷き取引現場を押さえようとしますが、ある時、麻薬密売の黒幕であるシャルニエがマルセイユからニューヨークにやって来ていることを知ります。


執拗にシャルニエを追うドイルですが、逆にシャルニエは殺し屋を使ってドイルを消そうとします。怒涛のカーチェイスが繰り広げられ、敵の手から何とか逃れたドイルたちはついにシャルニエを追い詰めますが。。。



<フレンチコネクション2 〜マルセイユ編〜 >

一作目の「フレンチコネクション」で、ドイルたちはシャルニエを逃してしまいます。行く手を阻まれ逃げ場がなかったはずのシャルニエは、実は大金で警官を買収して警察の捜査網をくぐり抜けていたのです。

ニューヨークでシャルニエを逃したドイルは、上層部の指示によりマルセイユへと送られます。現地マルセイユの刑事バルテルミーと協力してシャルニエを追い詰めたいと考えるドイルでしたが、バルテルミーはドイルを無下に扱い捜査に加わらせようとしません。

痺れを切らしたドイルは単独行動でシャルニエの居場所を探ろうとしますが、ある日逆にシャルニエの一味に襲われ捕らえられてしまいます。そしてそこで薬物漬けにされ、禁断症状に陥ってしまうのです。


解放されたドイルは、後に自分がフランス警察の囮捜査に利用されたことを知ります。そして復讐心に燃えるドイルは、自分が捕らえられていたシャルニエのアジトのホテルを焼き払ってしまうのです。


そのアジトで次の麻薬取引の情報を聞き出したドイルは、ついにシャルニエを追い詰めるのですが。。。


〜感想〜

一作目と二作目で監督が違うのもあってか、2つの作品の雰囲気も随分違うように思いました。

一作目はカーチェイスに代表されるような躍動感のある雰囲気ですが、二作目は全体的に静かな、それでいて不安感がずっと漂っている感じがあります。

とはいえ、映像やカットの角度といった視覚的表現で緊張感を演出するという点では共通しているものがあると思います。一作目、二作目ともにドイル刑事が1人でシャルニエを追走する場面がありますが、すぐ近くにまで来ているにも関わらず、捕まりそうで捕まらない。そんな絶妙な空気感がうまく演出されているように感じました。


最後に麻薬取引現場を押さえてラボを急襲し、シャルニエを追い詰めていくまでの流れは見応えがあります。一作目同様二作目でも、すんでのところでシャルニエを見失い、取り逃がしてしまうように思いきや、、、


結末は映画を観てのお楽しみということで!



シリーズものって結構一作目がすごく印象に残るイメージがあるのですが、この作品は二作目も個人的にはすごく好きです。
何より主演のジーン・ハックマンの乱暴でありながらも繊細な人柄が、マルセイユというアウェーにいるからこそうまく引き立っているように感じるのです。


一作目、二作目とも続けて観ることを是非おススメします!




てことで、今日はこれでおしまい。

À bientôt !!


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