こんにちは、カズマグナムです。


私事ですが、昨日カズマグナム3号(次男)が産まれました!パチパチパチ。
(ちなみに次男がなぜ3号かというと、僕を1号と考えて長男が2号だからってことです。でもこの場合、僕を0号と考えたほうが良かったのかな?とも思ったりしましたが、面倒くさいからまあいいやってことで、この方針でいきます。どうでもいいと思いますが、、、)


前回は陣痛が来る前に破水して即入院。陣痛来るまで20時間くらいかかって、最後は吸引分娩っていうかなりの長丁場で大変な(勿論もっと大変な人は沢山いると思いますが)出産だったんですが、今回は朝に陣痛が来始めて夕方頃に入院、入院後2時間くらいで出産、というスムーズさ。

経産婦だとこうも違うのか、たまたまなのか分かりませんが、とにかく母子ともに健康だったので一安心です。




で、産まれてきた子の顔を見てびっくり。


なんと、カズマグナム2号(長男)が産まれてきたときと全くと言っていいほど同じ顔で、最初写真を見たときは奥さんがカズマグナム2号の写真を送ってきたのかと本気で思ったくらい。2度見どころか3度見4度見しましたよ。

いくら兄弟だからってここまで同じになることも珍しいよなーと思いつつ、成長したらどんな風になっていくのか、兄弟同じような顔になるのかそうでないのか、今から超楽しみです!


でもまたバタバタする生活がやってくるので、楽しんでる余裕もないかも?さて、どうなることやら。






てことで、今日の記事をご紹介しますー。





↓(フィガロの記事)

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↓(記事のリンク)

今回の紹介記事







タイトルは、
「2021年セザール賞:<Mignonnes>のFathia Youssouf(ファティア・ユスフ)が14歳で有望女優賞を受賞」
という感じでしょうか。







フランスの「アカデミー賞」に位置づけられているセザール賞の有望女優賞を、事前の公開ノミネート者に名前が無かったアフリカ系の少女が受賞し、話題になっています。



セネガル系フランス人女性の映画監督Maïmouna Doucouréの映画にエイミー役で出演し、受賞した14歳のFatiha Youssoufは、演技を専門で学んだことはないにも関わらず、その演技で監督の心を揺さぶり(pleuré face à la performance)700人もの候補者の中から選ばれました。


Fathiaが演じたのはダンスが好きで溌溂な反面、大人になることに抑圧を感じ、家族の中の宗教的伝統文化と友人との関わりとの狭間で罪悪感を抱いている12歳の少女です。映画の年齢設定が実際の彼女の年齢と違うのは、新型コロナウイルスの影響により映画の製作・公開が遅れてしまったことが原因のようです。



批評家から絶賛されたMaïmouna Doucouré監督の受賞作品は今回が2作目で、2018年にMaman(s)という最初の短編映画を発表しているものの、描写が<hypersexualité(色欲的)>であると批判を受けて、トルコでは上映禁止にまでなっていたようです。



今回さらに異例だったのは、受賞したFathiaが事前に選ばれていた24人の候補者(révélation)に入っていなかったことです。有望女優賞の投票に関わった人物は、révélationはあくまて参考に過ぎず、Fathiaが際立った才能を持っていたことが今回の受賞に繋がったのだと語っているようです。




<今日のフレーズ>
今回は、監督の処女作が批判を受けたことに対してのFathiaさんのコメントをご紹介します。


« Ça ne m’a pas affectée. J’ai pensé que ces gens n’avaient pas compris le message du film, qui dit qu’il faut grandir avec son âge, pas trop vite, et faire ce qu’on aime sans se fier au regard des autres ».


「(批判があったことは)私には影響を与えていません。批判をする人たちは、年齢とともにゆっくりと成長し、他人の目線を気にせずに自分の好きなことをすべきだ、という映画のメッセージを理解できなかったのだと思います。」






映画で子役が評価されることってそんなに珍しくもない気がするけど、アフリカ系でかつ女性という点は画期的だと思います。近年は多くの映画賞で「非白人」とか「女性」といった、これまで受賞から遠いとされていた人たちが賞を受けるケースが増えている気がしますねー。


女性や非白人、性的少数者などが正当に評価されていないことの批判からそういった流れができてきてること自体はまあそれでいいんですが、ただ逆にそういった人々への受賞が目立ち過ぎてて、個人的にはそれが却って批判を受けないためのアカデミーの態度のようにも思えてきちゃいます。「こういう人たちにちゃんと賞与えてたらそれでいいんでしょ」みたいな。勿論これは僕の勝手な想像なので実際はそうじゃないのかもしれませんが、でもそういう可能性はある。


僕は「配慮をする」っていうことと「正当に評価をする」ってこととはちょっと違うんじゃないかと思うのです。性別とか人種とか関係なく実力で正当に評価されてこそ賞に価値があると思うので、これまでのように「 男性」であっても「白人」であっても、評価されるべき人は評価されるべきだし、女性とか非白人だからといって色眼鏡で評価することはあってはなりません。

企業とかで「幹部女性登用率〇〇%を目指す」、とかよくありますけど、社会の流れを変えるキッカケとしてはそれは大切な動きですが、流れに乗ってきたらそういう数値目標はむしろなくなったほうがいいんじゃないだろうか。そうしないと、本来実力が伴わない人を数字を達成するためにだけ評価するということが起きてしまいます。


世間の声とか時代の流れがあると、どういった決定を下してもどこかしらから批判を受けると思うのですが、批判を避けようとして政治的に評価を下すのではなくて、結果に対して「納得できる説明」ができるように努力をする必要があります。形だけ整えて説明責任を果たさない、という態度は特に日本の政治家には多い(日本に住んてるから日本の政治家のことしかあまり知らないってことなんですが、、、)ので、胆力のある責任者がもっと増えてきたら(特に日本の首相は頼りなさすぎる、、)いいのになー(自分もそうならないとなー)と思う今日このごろ。








てことで、今日はこれでお終い!




À bientôt !!






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